亡き親友に捧ぐ〜アマノジャクミヤに音返し〜

この動画を見た後にブログを見に来てくださった方
このブログを読んで頂いた後に動画も見てくださる方
どちらが多いのでしょうか。


どちらにせよ
動画では語りきれなかった部分を
ここに記して行こうと思います。

内容が重複している部分もありますが
この記事も一生懸命書きます。
どうかお付き合いください。

今からちょうど10年前、

2010年7月10日。
僕は親友を亡くしました。
明け方の交通事故でした。

僕が当時やっていたバンド
「HOTSONIC」はその日
ライブで名古屋にいました。

彼の死を知ったのは僕が出番を終えた少し後。
彼がボーカルを務めたバンド
「アマノジャク」のベース
都倉からの電話ででした。

聞いた瞬間は実感が湧かず
涙も出ず。
何も考えられませんでした。

その日はASTROGRAPHという仲の良いバンドも共演で
そのボーカル・カズもミヤと親交があり
数日前にミヤ、カズ、僕で飲んだばかりでした。

カズは本番前だったので
この事実を伝えるべきか迷いましたが
僕は伝えました。
彼も全く受け入れる事が出来ていませんでした。

後で詳しく聞くと
加害者側が明らかに悪い事故。
悔しくて仕方ありませんでした。
そしてこれも後からわかった事ですが
彼の最後の電話の相手は
僕でした。

僕があの日夜更かしせずに眠りについていて
電話に出なかったら。
もう少し長く話していたら。
彼は死なずに済んだのかもしれない
そんな事を考えてしまったりもしました。

彼らは7月15日にレコ発ライブ、
そして全国ツアーを控えていました。
そんな記念すべき日の5日前にあいつは死んでしまいました。

僕らはそのレコ発初日に出演が決まっていました。
ミヤと出会って一年半。
暇さえあれば電話してきて
家にもしょっちゅう泊まりにきて
かなり濃い時間を過ごし
親友と呼べる仲になっていましたが
出会った当時に僕らがロングツアーの真っ只中ということもあり
この日が初めての共演になる予定でした。
やっと一緒にできると思ってたのに…

メンバーの強い意向で
イベント自体は予定通り開催される事になりました。
出演してくれるかどうかは任せる、と言ってくれましたが
僕らにキャンセルという選択肢はありませんでした。

当日を迎え会場入りしたらちょうどアマノジャクのリハーサルが始まりました。
レコーディングで録ったミヤの声に合わせて楽器隊が演奏するという方法。
2nd LINEに響くミヤの声を聞いて
悲しむどころか余計彼の死を信じれず
まだ生きてるんじゃないかと思えました。

会場には今までカメラマンのキシノユイちゃんが撮り続けてきたであろう
ミヤの写真がいっぱい貼られていました。

最初に出たタイムテーブルでは
僕らのバンドは一番手の予定でした。
しかし当日を迎えてトップバッターでイベントの幕を切ったのは
ゲストのSOUTH BLOWでした。

実は最初
SOUTH BLOWはミヤの死を聞いてキャンセルされました。
アマノジャクとまだ面識がなく、
2nd LINEからのオファーで出演が決定してたんですよね。
『僕らなんかよりふさわしいバンドに時間を使って欲しい』
という理由でのキャンセルでした。

しかし最終的に
『10分でもいいからアコースティックで出演させて欲しい』
という結論を出され、トップバッターとして出演されました。
今思えばメンバーの中で意見が割れていたのかもしれません。

それでも出演されて、
そして僕はあの日のSOUTH BLOWのライブとMCに救われました。

Vo.セキさんのMC。
その日からさらに5年前の7月15日。
セキさんの携帯に親友から電話がかかってきたそうです。
彼は忙しかったこともあり、
またいつでも電話出来ると思ってとらなかったそうです。

そしてそれが
その親友からの最後の電話になってしまいました。
着信時間の直後に親友は事故で亡くなったそうです。
「この後悔は一生背負っていく」とおっしゃっていました。

どんなライブをしていいかもわからないまま
あっという間に僕らの出番が回ってきました。

ミヤがどういう思いで、
そして僕らに何を期待して
このイベントに呼んでくれたか理解してるつもりでしたが
それでも足は震えました。

でも
そんなビビった姿を見せる訳にはいかないな、と
いつも通り盛り上げ倒したろうやんけ、と

腹をくくってステージに上がり
みんなが泣く暇もないくらい笑かせて盛り上げたつもりです。

トリのアマノジャクでは
ミヤの等身大パネルが登場。
そしてリハーサル以上に響き渡るミヤの声。
僕はずっとステージ袖で見ていました。
本当に名曲揃いで

ここから全国の色んな人がこのバンドに惚れるはずやったのになあ..
と思っていました。

ライブ後に流れた映像。
これも一生忘れられません。

最後のワンシーンはミヤが心斎橋筋商店街をふざけながら歩く映像。
奇しくも僕がミヤと出会った日に歩いた道でした。
そこで彼の死後 僕は初めての涙をやっと流しました。

その日
200人で満員のライブハウスに500人が集まっていたみたいです。
入りきれなかった人は音漏れで参戦してたそうです。

友達多すぎるやろ…
懐かしい顔ぶれも沢山いて
ミヤが同窓会を開いてくれた様でした。

終演後
僕はすぐに外に出ました。
ミヤがどんな人たちに愛されていたかを見てみたくて、
ライブハウスから出てくる人たちを眺めていました。

彼もきっとあの日集まった沢山の人を見て
ニヤニヤしていた事でしょう。

打ち上げで
ライブ後の映像を作ったかなえちゃんと初めて会いました。
そして彼女の掛けてくれた言葉に僕は救われました。
なんちゅー器の女だよ、と衝撃でした。
この時の言葉はまだどこにも書いた事はありません。



2020年のある日
ふと久しぶりにアマノジャクの曲を聴きました。
命日を忘れたことはありませんでしたが、

あれ?
あいつ今年でもう何年だろうと思い
確認したところ
今年で10年。

早すぎます。

10年の間に事故現場に行ったり
追悼イベントを開催したり
墓参りに行ったり

ミヤのことを想いながらも
自分なりに必死に過ごして
そこそこ彼に胸を張れる様な自分にたどり着けた気がしています。

この10年
節目節目でやたら雨が降るんですよね。
雨男だったあいつの仕業だと勝手に思ってます。

彼の死の一年後
僕のバンドは解散しました。
ずっと晴れてたのに
終演後僕らが打ち上げ会場に向かう間の僅かな時間
少しだけ雨が降ったんですよね。
これはもうあいつの気配を感じずにはいられませんでした。

その後
墓参りに行った日も
僕が初めてひとり旅に出かけた日も
雨が降っていました。

最近は当時のバンド仲間と再び会うことも増えてきて、
ちょうど
「早くに解散しちゃったけど あのバンドのあの曲ってマジでもっと広まってもおかしくなかったよな」
なんていう会話をよくする様になっていました。

「知られざる名曲」をリバイバルしよう!!
そんな計画が動き出し始めたりもしていました。

その会話を見ていたミヤザキからのフリだったのでしょうか?
目立ちたがり屋の彼が
「10年の節目に俺の曲をカバーしろ!!」
と僕の枕元でささやいていたのかもしれません。

とにかく僕は
「アマノジャクの曲やろう。」

気付けば動き出していました。

そして色んな人に連絡を取り
実際に会いに行き、
今回動画が出来上がりました。

動画内でも語っていますが
僕が一人で暴走して
誰かが少しでも傷ついたり
嫌な思いをするのであれば
やるべきではない、と思い
色んなことを確認する必要がありました。

しかしそんな心配をよそに
みんな快く力を貸してくれました。

むしろ

「あいつは絶対喜ぶよ」
と皆口を揃えて言いました。

僕が出しゃばって申し訳ない、と言うと

「直紀なら誰も文句言わへんよ」
と言ってくれました。

途中コロナの影響もあり
計画通り進まないことも沢山出てきましたが、

計画通り進まないことなんて
バンドやってた頃に経験しすぎて
慣れたものでした。

実は着地自体も当初の計画とはだいぶ違ったものになったのですが、
これが一番の結果だと胸を張って言えます。

計画浮上時にすぐに相談に乗ってくれた←2HT→のユージくん、亮平
最終段階で総合的なアドバイスをくれたICCHAN、

急なオーダーに応えてくれた東京チームの皆さん、
大阪で無理やり日程を合わせてレコーディング対応してくれたHizmIのカズ。

当初はリハーサルスタジオでの撮影の予定でしたが
直前のZOOM会議で
「アマノジャクの思い出の地どこかないの?」
という僕の問いに対して

メンバーの返答は満場一致で
「2ndLINE」
でした。


奇しくも現店長は僕らの同世代バンドであり
アマノジャクとの共演経験もあるex.放ツ願いのフミ。

連絡したのは2日前にも関わらず2ndLINEで撮影できる様に色々と手配してくれました。
もうこの時点で感動だらけなんですよ。

でもきっとみんながここまで動いてくれたのは
ミヤザキが喜ぶと思ったからだと思います。

あーー
今ブログを書きながらめちゃくちゃ久しぶりに家でビール飲んでます。
当時はとにかく金がなく
発泡酒で乾杯してた僕たちですが
今日はコンビニで一番高いビールを買ったぞ。
大人になりました。

このブログは動画と同時に公開なので
動画がどれくらいの人に届くかわかりませんが
既にアマノジャクの曲をカバーしてくれた仲間が数組います。

彼を知っている人、
知らないけど何かを感じた人、
何日後でも何週間後でもいいので

#アマノジャクミヤに音返し
というハッシュタグで投稿してくれたら嬉しいです。


僕がなぜこの計画を実行させたか
実は今でもハッキリとした理由が自分でわかっていません。


彼のことをもう一度思い出して欲しかった
この名曲をもっと多くの人に知って欲しかった
ミヤに何かをしてあげたかった
何かのメッセージを届けたかった
全部といえば全部なんですけどね。

もしくは
マジでミヤが枕元に立って囁き続けていたのかもしれません。

まあ
はっきりした理由なんて今となってはなんでもいいです。

ただただ
やってよかった
そう強く感じています。

僕の親友は
誰よりも今を生きている人間でした。

暇さえあれば電話してくる。
少しでも時間があれば会いにくる。
しつこいくらい夢を語ってくる。
下戸の癖に酒呑みの僕たちに対抗して酒を飲む。

不謹慎かもしれないけど
最初から自分の寿命を知っていて毎日全力で生きていたんじゃないか
そう思うくらいエネルギーに溢れた男でした。

みんなも真似しろよ、なんて言うつもりはありませんが
僕が今まで数えきれない人間と出会ってきた中で
一番今を生きてたやつが
一番早く死んでしまった。
それだけです。

僕は彼が死んだ時
あいつ以上に毎日を全力で生きよう
そう決意しました。

しかしあれから10年
本当にその決意は守られていたでしょうか?

明日でいいや、
いつでもできるわ、
めんどくさいから放っておこう、
この10年で何度こんなセリフを吐いたでしょうか。

もちろん休息も必要ですし
毎日フルパワー、フルスピードで生きることは不可能かもしれません。
けど
せめて彼に追いつかないと
笑われますね

この計画を進めていくにあたって
僕自身の昔のブログと
そしてミヤのブログ
両方読み返してきました。

僕のブログにはミヤがしょっちゅう登場し
ミヤのブログには僕が何度も登場していました。

それを見て思い出したこと。
彼が事あるごとに僕に語っていた夢。
「廃校を借りてバンド主催の文化祭をしたい」
直紀一緒にやろうや!!
と会うたびに言ってくれていました。
一緒に叶えたい夢の一つでした。

当時の僕らはお金も力も人脈もなく
夢のまた夢でしたが
知らない間に
あの頃よりはその夢に近づけているはずです。
いつか叶えてみせます。

その時は遊びに来てもいいけど
雨を降らすのは終演後にしてくれよ、と
先にお願いしておきます。

思いつきを実行する力。
定期的にこっちを覗いてるであろうミヤに
今からどんどん見せてやろうと思います。

その第一歩が今回のこの計画ということになるのかもしれません。

彼が今どこにいるのかはわかりません。
まだその辺にいてちょいちょいイタズラを仕掛けて来ている気もするし
あの世でめちゃめちゃ楽しんでる気もします。
もしくはその両方を行き来する権力を手にしているかもしれません。
いずれにしても
楽しんでいるのは間違いないと思います。

僕も負けじと今を楽しんで過ごしていきます。

R.I.Pなんて言葉は
10年前まだ知らなかったから使いません。

どこにいても楽しんでいてください。

いつかまた!!



最後に


彼の曲を僕らがカバーすることを
快く了承してくださった
ミヤのお父様、お母様
心から感謝します。

この十年という節目に線香をあげに行くことが出来て本当に良かったです。
約束通りウイスキーで乾杯できる日を楽しみにしています。


2020年7月10日
アマノジャク ミヤザキユウキへ
ナオキより

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